「リバーサイドの売春婦殺し」ウィリアム・サフ

本名:ウィリアム・レスター・サフ (William Lester Suff)
又はウィリアム・ビル・リー・サフ (William Bill Lee Suff)

通称:リバーサイドの売春婦殺し
国:アメリカ
生:1950年8月20日
没:生存中

犯行期間:1974~1992年
逮捕日:1992年1月9日

犠牲者数:12~22人

判決:死刑




 1950年8月10日。アメリカ、カリフォルニア、トーランスにて産まれる。五人兄弟の長男だった。彼の名は、出生届ではウィリアム・ビル・リー・サフとなっているが、後年、家族がリバーサイドへ移り住んだとき、州の職員のミスでウィリアム・レスター・サフと誤記された。

 サフの子供時代はとりわけ目立つところはなかった。学力は平均的で、素行も悪くなかった。特徴といえば、友人が多く音楽の成績が良かったことぐらいだった。

 彼が10歳の時、両親が離婚した。母親の不倫が原因だった。父親はサフに対して「お前の母親は売春婦だった!」と罵った。後に、彼が10人以上の売春婦を殺すこととなる原因の一端となったと言われている。

 成人後、空軍に入隊。数年後、何事もなく除隊し、ひとりの女性と出会い結婚。娘をもうける。

 1974年。サフが二十四歳の頃。生後二ヶ月の娘ジャネットの殺害容疑で、妻とともに逮捕される。赤ん坊の死体は何度も殴られた痕があった。
 彼は有罪判決を受け、七十年の懲役を宣告された。だが、たった10年で仮釈放された……。

初逮捕



 出所後、仕事を転々とし、1986年カリフォルニア州リバーサイドにて備品管理事務局の職員として雇われそこに根を下ろし、これから20年近く売春婦殺しを続けることとなる。

 サフによる被害者が初めて発見されたのは1986年10月30日だった。工業用配水管の中から女性の死体が見つかった。テキサス州出身、マイケル・イヴェット・グツュリー20歳。
 死体には無数の切り傷があり首にははっきりと絞殺の痕があった。強姦もされていたようだった。

 一ヶ月後。1986年12月11日。シャルロット・ジャン・パーマー24歳の全裸死体が発見された。腐敗の進んだ死体は死因を特定することはできなかった。

 更に一ヶ月後。1987年1月。道路脇の茂みの中からリンダ・アン・オルテガ37歳の刺殺体が発見される。

 その後、逮捕されるまでのおよそ五年の間に22人の死体が発見される。(裁判でサフの犯行と証明されたのはこのうちの12人)
 被害者たちはいずれも売春婦で、アルコール依存症や薬物中毒の者も少なくなかった。

 サフは「獲物」を狙うためにリバーサイドの町を車で流し、路上に立つ売春婦に声をかけた。そして罠にかかった「獲物」を車に乗せた。車には、性行為のために後部座席に毛布やソファーが用意されていた。もちろん狩りの道具も……。
 サフは売春婦と性交渉をするかしないかのうちに、首を絞め、ナイフで刺し殺した。
 死体はしばしば裸で投げ捨てた。道路脇の灌木の中や、ゴミ収集のコンテナの中、又は無造作に道路脇に。
 時々、彼は被害者たちの胸を切り取ることがあった。それを専門家たちは、女性に対する憎しみからきている行為だと分析した。それは自分の母親が売春婦だったことが影響していると考えられた。

 他の連続殺人犯のように、サフは被害者の持ち物を持ち帰ることがあった。アクセサリーや財布。それらを勲章としてコレクションした。一度、自分の妻にコレクションの一部である女物の財布を見つけられたことがあったが、サフは会社の上司からもらったと偽り、妻もそれを疑わなかった。

 彼は名誉心の強い男だった。ために、彼は自分の犯した犯罪の記事やニュースに注目していた。一度、ニュースで、犯人は白人女性しか殺していないから、犯人は白人に違いないと、報道されたことがあった。その放送の直後、彼は黒人を殺した。

 リバーサイドでは5年間で22人の売春婦の死体が発見された。住民たちは犯人を憎んではいたが、被害者が全て売春婦であるために、それほどの恐怖は感じてはいなかった。むしろ、彼らは犯人を、「メインストリートから売春婦を追い出した掃除夫」として感謝さえしていた面もあった。実際、リバーサイドの売春婦の数は目に見えて減少していた。
 もちろん、警察たちは被害者がどのような職業の人間であろうとも差別はしなかった。全力を尽くし捜査を進めてはいたが、進展はなかった。行きずりの犯行で、証拠はほとんど見つからなかった。

 被害者はアル中か薬中の売春婦。ほとんどが白人だが、一人だけ黒人。犯行日時はクリスマスやハロウィンなどの祝日の前後が多かった。それは単に犯人が休暇期間を利用してい犯行を重ねているというだけで、たいした手がかりでもなかった。
 手詰まりにも思えた警察だが、事件は突然に終わりを告げる。

 1992年1月9日。午後9時頃。パトロール中のパトカーが、前方を走る自動車がUターンするのを目撃。禁止区間だったために、停車を命じ、ドライバーの身分を確認した。ウィリアム・レスター・サフだった。
 彼は、仮釈放中に自動車窃盗の罪を犯し逃亡中だった。
警察は自動車の内部を捜索。ロープや毛布、ナイフなどを発見した。売春婦殺しに使われた物だった。

 警察署に連行されたサフは、売春婦殺しを否認し続けた。だが、いくつもの物証が彼の犯行を物語っていた。犯行現場から発見された繊維は、サフの自動車の毛布や枕、カーペット等と一致した。血の跡の付いたナイフも同じく自動車から発見され、タイヤの跡は、犯行現場に残されたそれと完全に一致した。
 にも関わらず、彼はかたくなに否認を続けた。自分は「事件を解決するための生け贄だ」と。

 サフは現代の「ジキルとハイド」と呼ばれた。数十人の売春婦を殺す一方、備品管理事務局の職員として働いていた彼は、同僚からの信望は厚かった。
 料理と音楽が得意な彼は、地元の料理大会でチリ料理を振る舞い入賞した。オーケストラの催し物にも頻繁に参加しトランペットやトロンボーンを披露した。
 彼の知り合いは、サフを信頼できる好意的な人物だと評した。

料理大会で入賞


 1995年8月17日。ウィリアム・レスター・サフは、死刑判決を下された。彼は、その宣告の時涙を流した……。

裁判時のサフ(左)


 判決から数年後、サフは獄中で自伝を書き、彼の弁護士であり友人のブライアン・アラン・レーンとの共著「猫とネズミ:シリアルキラーとの心理戦」(Cat and Mouse : Mind Games with a serial killer)を出版。
 だが、彼が書いたのはポエムやレシピであって、犯罪部分はほとんど書かれなかった。

1 コメント:

rajaableman さんのコメント...

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